|
上福岡市市消防団 平成18年3月25日 上福岡消防団解団式 | |
|
上福岡市消防団の歴史 元副団長 原田清吉 上福岡の消防組織は明治中期にまで遡る、この時は福岡村消防組と呼ばれ五つの支部に分かれており、 監督は警察署長が行い、組の長である組頭の辞令は署長が出していた。 昭和3年6月、消防組第2部「福岡」が分離し、滝が二部、下福岡が第三部、中福岡が第四部となり、 順送りで六部になる。翌年駅前の上福岡地区に第七部が発足する。 その後消防組みは昭和十四年に政府指示により警防団と名を改め村長が監督を務め長は団長と呼ばれるになった。 そして戦後消防団と名を改め昭和三十年代には八分団になり、昭和四十四年福岡村の消防署ができる。 このころ陸軍より消防自動車が払い下げになり、それまで使用していた腕用ポンプは消えることとなる。 しかし当時は運転手が少なかったため運転手の養成も行った。 その後タンク車や半鐘も払い下げられ現在の上福岡一丁目辺りに車庫が設置された。 当時のエピソードとして県庁が火災にあったとき電話も無かった為、駐在に連絡が入り団員の家を 一軒一軒まわり起こしていったそうである。 昭和四十四年十一月十一日に入間東部地区消防組合(本部福岡村)が組織され、 消防団は消防の補助活動を行うようになったが、現在は五個分団で組織され、 それぞれの地区に車両を置き自分たちの街は自分たちで守る。という信条の元、 いざというときは職業もかなぐり捨てて現場に急行。 そんな消防団の主な活動内容は、@火災発生時の消火活動 A大規模災害時の活動 B消火訓練 C防災訓練への参加 D高齢者への防火診断 E車両の点検 F大会への参加 G夜間パトロール Hその他研修 などです。 |
![]() 払い下げ消防車の前で(昭和28年福岡村役場前) |
![]() 消防訓練(昭和20年代水天宮の池) |
![]() 福岡消防組名簿(明治29年) |
![]() 消防組小頭(副団長)辞令(明治27年) |
![]() 消防組4部(中福岡地区)半天 |